2025.5.15
ムヒカ大統領死去
「世界一貧しい大統領」として知られた、南米ウルグアイのホセ・ムヒカさんが亡くなりました。89歳でした。
ホセ・ムヒカさんは2010年から5年に渡り、ウルグアイの大統領を務めました。
2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めた。バスク系ウルグアイ人。愛称はエル・ぺぺ 。報酬の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活しているため、「世界一貧しい大統領」として知られている。

「幸福とは何か 人生とは?」
ムヒカ元大統領 講演

世界から悼む声
朝日新聞記事
2025年5月14日 7時54分
「世界で最も貧しい大統領」ウルグアイのホセ・ムヒカ氏死去 89歳
「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が13日、死去した。89歳だった。収入のほとんどを寄付して質素な生活を続けたムヒカ氏は「行きすぎた資本主義」に警鐘を鳴らし続け、日本でも知られた存在だった。
ムヒカ氏は1935年、首都モンテビデオ生まれ。青年時代から政治活動に携わり、60年代には軍事独裁政権に対抗する都市型極左ゲリラの創設メンバーの一人として活動した。資金を稼ぐため強盗や誘拐に手を染め、銃撃戦で重傷を負ったこともある。4回の投獄で計14年近く収監された。
85年の民政移管後に政治家となり、閣僚を経て2010~15年に大統領を務めた。拡大する格差の解消を目指したムヒカ氏は「ペペ」の愛称で親しまれ、退任を前にした支持率は65%に達するなど高い人気を維持した。大麻や中絶、同性婚の合法化などの政策でも注目された。
日本でもよく知られるのは、質素な生活だ。大統領在任中は公邸には住まず、収入の9割を貧困層に寄付。生活費は毎月1千ドル(現在のレートで15万円)ほどだった。「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれた。16年の朝日新聞とのインタビューでは「『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」と語っていた。

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
5/14(水) 4:58配信
“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ元大統領(89)死去 南米ウルグアイ第40代大統領 収入の大半を貧しい人たちに寄付
「世界一貧しい大統領」として知られた南米ウルグアイのムヒカ元大統領が亡くなりました。89歳でした。
ホセ・ムヒカ元大統領は2010年から5年間、ウルグアイの第40代大統領を務めました。大統領在任中、公邸には住まず、首都モンテビデオ郊外の質素な住宅で暮らしていました。
また、収入の大半を貧しい人たちに寄付したことから「世界一貧しい大統領」と呼ばれ、国民からは「ぺぺ」の愛称で親しまれました。国際的な舞台の演説でも、現代の大量消費社会は「持続可能ではない」と問題点を指摘してきました。
退任後の2016年には初来日し、大学で若い学生たちを前に「本当の豊かさとは何か」について講演し、大きな反響を呼びました。
2024年から食道がんを患い闘病していましたが、ウルグアイのオルシ大統領は13日、自身のSNSにムヒカ元大統領が死去したと投稿し、「あなたが我々に与えてくれた全てのこと、また国民への深い愛に感謝します」と追悼の意を表しました。
89歳でした。
共同通信
5/14(水) 4:36配信
ウルグアイのムヒカ元大統領死去
【サンパウロ共同】ウルグアイのメディアによると、清貧な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」として知られたムヒカ元大統領が13日、死去した。89歳だった。

「幸せとは何か」(ホセ・ムヒカ元大統領)
「『素晴らしい人生とは、生きる理由を持っていることだ』ムヒカさんの言葉に、私の人生観が大きく変わりました」そう話すのは、“世界で最も貧しい大統領”と言われたウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領との対談経験を語る岩本心さん。元大統領から受け取った言葉の数々を日本の人々へ伝えるため、2020年10月、立命館大学国際平和ミュージアムでミニ企画展示「世界一貧しい元大統領から学ぶ“本当の豊かさ”」を開催した。人生を変えた元大統領との出会いと、この企画に込めた思い、そして、彼女が目指す大きな夢を語ってくれた。
ムヒカ元大統領を訪ねたウルグアイの旅
2018年8月、彼女がメキシコで語学留学をしていたときのこと。「友人との会話でムヒカさんの存在を知り、2012年に行われたリオ+20での代表的なスピーチ動画をみました。消費至上主義による環境破壊を訴えた彼の言葉が胸に響いたのを覚えています」と目を輝かせる。ムヒカ元大統領に一瞬にして心を奪われた彼女は、以来、彼の活動や価値観、その人生に夢中になっていったという。「ムヒカさんに会いたい」という強い思いが彼女を突き動かし、2019年7月にはウルグアイを訪れたのだった。
「簡単に会えるわけがないと半ば諦めていましたが、現地でバス停の近くにいた女性に尋ねてみると『ぺぺの家に行きたいのね!』と快く対応してくれ、周囲にいた見ず知らずの人たちまで協力してくれたのです。ムヒカさんがいかに国民と親しい関係を築き、愛されてきたのかを知り、驚きを隠せませんでした」と、当時の心境を語る。

突然、日本からやって来た彼女をムヒカ元大統領は温かく家に迎え入れ、夢にまで見た対談が実現。大統領の頃の目標や日本人に対する考えなど、温めていた思いを一つひとつ質問していった。当時、彼女の周りは4回生となり就職活動をしていた時期というのもあり、彼女自身も就職に関して不安や疑問を抱いていたという。「そんな私に、彼は『学校は就職するために行く場所ではない。“生きる理由”を見つける場所だよ。自分が本当にやりたいこと、進みたい道を決めるのが大学なんじゃないかな』と言いました」。将来の不安に囚われるのではなく「自分の進むべき道を、限られた大学生活のなかで精一杯模索すべきだ」と、決意を固めた瞬間だった。
人生を見つめ直すきっかけを。思いを詰め込んだ企画展示

「立命館大学国際平和ミュージアムでの企画展示では、私の体験談やムヒカさんの生き方、考えに触れてもらえるように工夫しました。絵本『世界一貧しい大統領のスピーチ』の著者・中川学さんからお借りした原画を展示したり、日本の新聞記事や書物のなかから彼の言葉を抜粋したりしました」と企画展示の様子を話す。準備にあたって、ムヒカ元大統領と関わりを持つテレビ監督やさまざまな人物を訪ねて回り、協力を得られたことで、本や絵本の原画、写真、サインなど貴重な資料で溢れた企画展示が実現した。
「ここでは『あなたの幸せや豊かさの価値観を変えてほしい』とは思っていません。十分すぎるほど物に恵まれ便利な日本社会ですが、これまで日本が築いてきた“豊かさ”の価値観を今一度見直し、今までの人生を顧みるきっかけにほしいのです」と思いを語った。

「私にとっての生きる理由は、“夢を追いかける”こと」
企画展示をきっかけに、地域の中学校や高校から「生徒たちが国際理解や生きる理由について考える場を作ってほしい」と、講演を依頼されるようになった。さらに12月には和歌山県でエシカルマルシェを現地の人たちと共催し、2021年1月には東京のブックハウスカフェでの企画を控えるなど、新たな活動の場が広がっている。
そんな彼女の大きな夢は、将来、国際協力や環境問題解決に貢献すること。卒業後は語学留学や大学院進学を視野に入れ、夢に向かって歩みを進める。「彼はいつも言います。『人生で一番大切なのは、成功することではなく、歩み続けること』だと。世界の国際・環境問題を自分事として捉え、彼が教えてくれた“本当の幸せ”のために歩んでいきたい」と晴々とした笑顔をみせる彼女は、これからも確かな夢に向かって前進する。
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ホセ・ムヒカさんは2010年から5年に渡り、ウルグアイの大統領を務めました。
2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めた。バスク系ウルグアイ人。愛称はエル・ぺぺ 。報酬の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活しているため、「世界一貧しい大統領」として知られている。

「幸福とは何か 人生とは?」
ムヒカ元大統領 講演

世界から悼む声
朝日新聞記事
2025年5月14日 7時54分
「世界で最も貧しい大統領」ウルグアイのホセ・ムヒカ氏死去 89歳
「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれた南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が13日、死去した。89歳だった。収入のほとんどを寄付して質素な生活を続けたムヒカ氏は「行きすぎた資本主義」に警鐘を鳴らし続け、日本でも知られた存在だった。
ムヒカ氏は1935年、首都モンテビデオ生まれ。青年時代から政治活動に携わり、60年代には軍事独裁政権に対抗する都市型極左ゲリラの創設メンバーの一人として活動した。資金を稼ぐため強盗や誘拐に手を染め、銃撃戦で重傷を負ったこともある。4回の投獄で計14年近く収監された。
85年の民政移管後に政治家となり、閣僚を経て2010~15年に大統領を務めた。拡大する格差の解消を目指したムヒカ氏は「ペペ」の愛称で親しまれ、退任を前にした支持率は65%に達するなど高い人気を維持した。大麻や中絶、同性婚の合法化などの政策でも注目された。
日本でもよく知られるのは、質素な生活だ。大統領在任中は公邸には住まず、収入の9割を貧困層に寄付。生活費は毎月1千ドル(現在のレートで15万円)ほどだった。「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれた。16年の朝日新聞とのインタビューでは「『貧しい人』とは、限りない欲を持ち、いくらあっても満足しない人のことだ。でも私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで、貧しくはない」と語っていた。

FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
5/14(水) 4:58配信
“世界一貧しい大統領”ホセ・ムヒカ元大統領(89)死去 南米ウルグアイ第40代大統領 収入の大半を貧しい人たちに寄付
「世界一貧しい大統領」として知られた南米ウルグアイのムヒカ元大統領が亡くなりました。89歳でした。
ホセ・ムヒカ元大統領は2010年から5年間、ウルグアイの第40代大統領を務めました。大統領在任中、公邸には住まず、首都モンテビデオ郊外の質素な住宅で暮らしていました。
また、収入の大半を貧しい人たちに寄付したことから「世界一貧しい大統領」と呼ばれ、国民からは「ぺぺ」の愛称で親しまれました。国際的な舞台の演説でも、現代の大量消費社会は「持続可能ではない」と問題点を指摘してきました。
退任後の2016年には初来日し、大学で若い学生たちを前に「本当の豊かさとは何か」について講演し、大きな反響を呼びました。
2024年から食道がんを患い闘病していましたが、ウルグアイのオルシ大統領は13日、自身のSNSにムヒカ元大統領が死去したと投稿し、「あなたが我々に与えてくれた全てのこと、また国民への深い愛に感謝します」と追悼の意を表しました。
89歳でした。
共同通信
5/14(水) 4:36配信
ウルグアイのムヒカ元大統領死去
【サンパウロ共同】ウルグアイのメディアによると、清貧な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」として知られたムヒカ元大統領が13日、死去した。89歳だった。

「幸せとは何か」(ホセ・ムヒカ元大統領)
「『素晴らしい人生とは、生きる理由を持っていることだ』ムヒカさんの言葉に、私の人生観が大きく変わりました」そう話すのは、“世界で最も貧しい大統領”と言われたウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領との対談経験を語る岩本心さん。元大統領から受け取った言葉の数々を日本の人々へ伝えるため、2020年10月、立命館大学国際平和ミュージアムでミニ企画展示「世界一貧しい元大統領から学ぶ“本当の豊かさ”」を開催した。人生を変えた元大統領との出会いと、この企画に込めた思い、そして、彼女が目指す大きな夢を語ってくれた。
ムヒカ元大統領を訪ねたウルグアイの旅
2018年8月、彼女がメキシコで語学留学をしていたときのこと。「友人との会話でムヒカさんの存在を知り、2012年に行われたリオ+20での代表的なスピーチ動画をみました。消費至上主義による環境破壊を訴えた彼の言葉が胸に響いたのを覚えています」と目を輝かせる。ムヒカ元大統領に一瞬にして心を奪われた彼女は、以来、彼の活動や価値観、その人生に夢中になっていったという。「ムヒカさんに会いたい」という強い思いが彼女を突き動かし、2019年7月にはウルグアイを訪れたのだった。
「簡単に会えるわけがないと半ば諦めていましたが、現地でバス停の近くにいた女性に尋ねてみると『ぺぺの家に行きたいのね!』と快く対応してくれ、周囲にいた見ず知らずの人たちまで協力してくれたのです。ムヒカさんがいかに国民と親しい関係を築き、愛されてきたのかを知り、驚きを隠せませんでした」と、当時の心境を語る。

突然、日本からやって来た彼女をムヒカ元大統領は温かく家に迎え入れ、夢にまで見た対談が実現。大統領の頃の目標や日本人に対する考えなど、温めていた思いを一つひとつ質問していった。当時、彼女の周りは4回生となり就職活動をしていた時期というのもあり、彼女自身も就職に関して不安や疑問を抱いていたという。「そんな私に、彼は『学校は就職するために行く場所ではない。“生きる理由”を見つける場所だよ。自分が本当にやりたいこと、進みたい道を決めるのが大学なんじゃないかな』と言いました」。将来の不安に囚われるのではなく「自分の進むべき道を、限られた大学生活のなかで精一杯模索すべきだ」と、決意を固めた瞬間だった。
人生を見つめ直すきっかけを。思いを詰め込んだ企画展示

「立命館大学国際平和ミュージアムでの企画展示では、私の体験談やムヒカさんの生き方、考えに触れてもらえるように工夫しました。絵本『世界一貧しい大統領のスピーチ』の著者・中川学さんからお借りした原画を展示したり、日本の新聞記事や書物のなかから彼の言葉を抜粋したりしました」と企画展示の様子を話す。準備にあたって、ムヒカ元大統領と関わりを持つテレビ監督やさまざまな人物を訪ねて回り、協力を得られたことで、本や絵本の原画、写真、サインなど貴重な資料で溢れた企画展示が実現した。
「ここでは『あなたの幸せや豊かさの価値観を変えてほしい』とは思っていません。十分すぎるほど物に恵まれ便利な日本社会ですが、これまで日本が築いてきた“豊かさ”の価値観を今一度見直し、今までの人生を顧みるきっかけにほしいのです」と思いを語った。

「私にとっての生きる理由は、“夢を追いかける”こと」
企画展示をきっかけに、地域の中学校や高校から「生徒たちが国際理解や生きる理由について考える場を作ってほしい」と、講演を依頼されるようになった。さらに12月には和歌山県でエシカルマルシェを現地の人たちと共催し、2021年1月には東京のブックハウスカフェでの企画を控えるなど、新たな活動の場が広がっている。
そんな彼女の大きな夢は、将来、国際協力や環境問題解決に貢献すること。卒業後は語学留学や大学院進学を視野に入れ、夢に向かって歩みを進める。「彼はいつも言います。『人生で一番大切なのは、成功することではなく、歩み続けること』だと。世界の国際・環境問題を自分事として捉え、彼が教えてくれた“本当の幸せ”のために歩んでいきたい」と晴々とした笑顔をみせる彼女は、これからも確かな夢に向かって前進する。