2025.5.18
sonyは変わる 平井一夫
ソニーグループが14日発表した2025年3月までの1年間の決算は、純利益が1兆1416億円となり、過去最高を更新しました。
施設のイベント、カラオケ会などを撮影するカメラは、当初キャノン製を使っていました。2020年にソニーからVLOGCAM ZVが発売され、デジタルカメラ類は全てソニーに変更しました。理由は性能に比べ価格が割安だったからです。衰退する日本メーカーの中でソニーは復活したと思います。何故なんだと調べてみました。
PRESIDENT(プレジデント) Onlimeから
「プレジデント」は1963年4月、日本で初めて海外提携誌として発行されました。
「もうソニーは終わり」と言われていた・・・元社長・平井一夫氏が見る13年前のソニーといまの違い。
ソニーグループの2024年9月の中間決算は、売り上げが5兆9172億円と過去最高だった。だが会社はかって存亡の危機に立っていた。かってと今では何が違うのか。再生の立役者で「仕事を人生の目的にするな」を書いた、元ソニー社長兼CEOの平井一夫さんに聞いた。
ソニーを復活させた平井一夫氏
”ネガティブ記事”に社員が苦しむのがつらかった。
平井一夫氏は、2012年にソニー社長兼CEOに就任した。当時のソニーは赤字続きで経営危機に陥っていた。平井氏はCEOへの就任内定の際に「痛みを伴う改革を断行する」と宣言。求められていたのは”会社の再生”だった。
ソニーグループCEOを務めていた約6年間でもっとも印象的だったのは、危機的状況にあった会社をマネジメントチームや社員と一緒に建て直したことでしょうか。
特に厳しかったのエレクトロニクス部門をターンアラウンド(立て直し)して、同時に映画、音楽、ゲームでも高い利益を出し、最終年度(2018年3月期)は10年ぶりに史上最高益を出すことが出来た。CEO就任時は「ソニーは大丈夫か」と危ぶまれていただけに、これは達成感がありました。
ソニーの改革
一方苦労も多かったです。とくにつらかったのは、マスコミにネガティブな記事が出ること。たとえば14年に「VAIO」ブランドのパソコン事業を売却したときはネガティブな報道一色でした。
当時の報道をふり返ると、実はこのとき同時にテレビ事業の分社化も発表。テレビ事業は10年連続の営業赤字で、累計赤字額は7900億円に達していた。分社化の目的は事業トップに権限委譲して責任を明確にすることだったが、世間はそう受け取ってくれず、「分社化は売却への布石では」という懐疑的な見方もあった。
テレビをプレミアム化
「大量生産」「手ごろな価格」からの脱却を図った。
経営再建は一夜にしてできるものではないと頭では理解していましたが、社員やその家族のために早く復活への道筋をつけなくてはいけないと焦りがありました。
そもそもテレビを中心としたエレクトロニクス部門はなぜ低迷したのか。日本メーカーに共通するのは、商品の魅力や価格で海外メーカーに勝てなかったことが大きいと思います。
大量生産して、手ごろな価格で売っていくーー。その思い込みや文化は強固なもので、社内でもかなりの議論が巻き起こりました。「台数よりプレミアム」と私が主張しても、「フルラインアップで店頭に陳列しないと売れない」「テレビはソニーのフラグマンシップ(司令塔)カテゴリー」。テレビで目立たなければ他のカテゴリーにもマイナス影響が出る」と反対意見が出て、なかなかプレミアム戦略に舵を切れませんでした。
「赤字でヘロヘロの現実を見ましょう」
私が大学卒業後入社したのはCBSソニーで、最初は音楽部門でした。30代でニューヨークに赴任し、ゲーム部門で長くキャリアを積みました。もしエレクトロニクス部門で育っていたら、それまで自分たちがやってきたやり方を否定するのは難しかったと思います。
このままではいけないと14年にスタートさせたのが新規事業促進プログラム「Sony Acceleration Platform」です。現業と別の枠組みを整える事で、自由な発想で挑戦しやすくしました。
リーダーとして意識したのは、絶対にやめないこと。単純ですが、これは非常に重要で、せっかく新しい仕組みをつくっても1年で終わったしまったら、「トップも口だけか」となってしまいます。
1994年に発売したPlayStation(PS)は、2000年に独自開発のプロセッサ搭載しPS2を発売。PS2は2024年までに1億6000万台売上げ最も売れたゲーム機となりました。市場調査の価格では29000円、しかし積算すると49800円。その差を埋めたのは平井氏のリーダーシップと優秀なスタッフによるものでした。ネットワークを軽く、スピーディに動く少数精鋭主義、これがPS2の成功とその後のソニーの躍進に繋がりました。
ソニーだけが「デジカメ」市場で大成功
ここ十数年、デジタルカメラ(以下、デジカメ)市場は縮小し続けてきました。
一般社団法人カメラ映像機器工業会(CIPA)によれば、デジカメのピークは2010年で、この年の総出荷台数は1億2000万台でした。その直後からスマートフォンの普及で市場は急激に縮小しました。
2022年の総出荷台数は800万台で、2010年の6.6%に過ぎない。一眼レフやミラーレス7などのレンズ交換式カメラは-46%とほぼ半減し、コンパクトデジカメに至っては81%減と事実上壊滅しています。
実績を伸ばしている唯一の会社がソニーです。2022年のデジカメシェアは、46%を占めるトップのキャノンに続き、27%で2位。
これは、オリンピックなどのスポーツイベントを取材するカメラマンの使用機材を見るとよくわかる。SONYのロゴが割合が高く、これからもシェアを拡大すると思われます。