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関取になれなかった男たち

大相撲の世界で、番付が十両以上の力士は「関取」と呼ばれます。関取には人数枠があり、幕内42人、十両28人の合計70人。全力士のうち約1割しかなれない狭き門です。給料の有無など、十両以上と幕下以下の差はあまりにも大きい。だからこそ、十両昇進を争う幕下上位は、人生を懸けた戦いが繰り広げられます。

佐々木一郎「関取になれなかった男たち」

関取になれたか、なれなかったかー。この事実は、その後の人生にも大きな影響を及ぼす。力士の大多数は、関取になれないまま引退します。中でも、現役時代の最高位が幕下筆頭、つまり関取に限りなく近づきながらも夢を諦めざるを得なかった者たちがいる。あと半枚、あと一枚、番付を上げていれば関取になれた彼らは今、何を思うのか。引退後、どのような人生を送っているのか。
「関取になれなかった男たち」という本が注目されています。長く大相撲を取材してきた佐々木一郎氏が、最高位が幕下筆頭という元力士6人(春日国、師子王、友鵬、錦風、緑富士、小金富士)の生きざまに迫りました。

日本相撲協会主催「大相撲」


関取になれば、化粧まわしを締められる。大部屋から個室になる。なにより給料がもらえる、つまりは力士として一人前になることを意味します。幕下筆頭になりながら、あと一歩のところで、それが叶わなかった。「関取になれなかった」の意味が多義的に膨らんでいきます。”付け人で終わってしまった”との意味もそこにあります。
最初に登場する春日国は、3人の横綱に仕え、信頼される付け人でした。

「俺の下で頑張って上がろうよ」
横砂・日馬富士がそんな春日国にかけた言葉。自分のために一生懸命になってくれる者に、一人前になって欲しいとの思いからの言葉です。


師子王(元八角部屋)

2人が幕下だったあの日のことは、今も忘れない。いつも通り、番付下位から稽古が始まり、そろそろ幕下、という頃だった。だが力士が誰も土俵に入らず、時間が止まったようになった。
稽古場に微妙な空気が流れた。

師子王は首、北勝峰は腰を痛めており、この日は相撲を取らずに軽めに終えようと考えていた。
力士は常に師匠の顔色をうかがう習性がある。親方の機嫌が悪くなってはまずいー。気づくと二人は土俵に入り、三番稽古を始めていた。
三番稽古は同じ相手と続けて相撲を取る。時には1時間にも及ぶことがあった。2人は痛みをこらえながら、相撲場を盛り上げた。すると八角親方が気持ちが乗ってきたのだろう、廻しを締めて土俵に下りてきた。

相撲部屋の稽古

2人は気力、体力を出し切った。すると八角に、こう声をかけられた。
「廻しを外して風呂へ行け」
師子王と北勝峰は風呂で身体を洗って一息ついていると、意外な展開が待っていた。師匠が氷嚢を持って風呂場に入ってきた。師子王の首、北勝峰の腰を、自らの手でアイシングしてくれた。シャワーで冷水を当てながら、黙々と。言葉は無かったが、2人の刺傷への思いは伝わってきた。北勝峰は、このエピソードを語る時、自然と熱くなる、


金井真紀「世界のお相撲さん」

「世界のお相撲さん」という本を読んで、スポーツ記者、飯塚さき氏のコメントです。

「引退後、改めて”相撲とはいったい何ぞや”と考えて勉強し始めたら、実に奥深い世界で、考えれば考えるほどわからなくなりました」
これは、元小結・舞の海さんの談話。プロの世界で相撲道を極めた人が探求するからこそ、面白い答えが導かれるのだろう。そう思って、私は当時この言葉をどこか他人事のように聞いていた。取材を続けていても、知らないことはまだまだ多くあるものの、「相撲とは何なのか」、根本的な部分に目が行くことは少なく、自分には無縁の問題のように思えました。

モンゴル相撲

しかし、本書を読んで、この疑問に対する探究心は依然大きくなった。著者が辺野古の新基地反対デモに参加する場面から始まる。沖縄には伝統的な「沖縄角力」があり、同様にモンゴルには「ブフ(モンゴル相撲)」が、観光には「シルム」と呼ばれるプロ閣議の韓国相撲がある。世界の相撲を見聞きする旅をしたら楽しいのではないか、というのが本書の発端。

 
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