2026.11.1
人生の後半をどう生きるか
「心が熱くなる365人の仕事の教科書」(到知出版社)から一話ご紹介します。
今回は、お茶の水女子大学名誉教授 外山慈比古氏による「人生の後半をどう生きるか」です。
人生の後半をどう生きるか
外山慈比古
お茶の水女子大学名誉教授

座右の銘を持つなら、単に人から聞いたり、本から拾った借り物を安易に掲げるよりも、自分の人生から導き出した信念のこもった言葉にするべきだと思っている。そしてその言葉は、その時々に変化していくほうがいい。それは決して変節ではなく、進歩の証だと私は考える。
私が一番最初に心に留めた言葉は、「我が道を往く(Going My Way)」だった。戦後まもなく、アメリカから入ってきた映画のタイトルであるが、内容は忘れてこの言葉だけが心に残った。
私はこれを、他人のやることに付和雷同しない、と解釈して心に刻んだ。わが道と言うのは、常識、流行、体制といった多くの人がいるところにはない。一人で運命を切り拓いていく覚悟を持ち、孤独に耐えて歩いていくものがつくっていくものである。
私は、誰もが留学したがる中で、その実効性に疑問を持って海を渡らなかった。また一切の役職を断り、社会的な地位を得て自分を見失うことを避けてきた。一人で道を切り開いていく覚悟を持って、精神的に自立して歩んできたのである。周囲からは変わり者とみられていたようだが、私は意に介さなかった。

我が道を往き、自分の頭で考える事を実践し続けて八十六歳となった。それなりにナットとの幸人生を歩んできたという満足感はある。しかい、さすがにここまで長生きするとは思わなかった。人生五十年くらいの気持ちで生きてきたところが、五十歳を過ぎても一向に終点が見えず、途方に暮れているというのが定年を過ぎた多くの人の実感だろう。
さて、これからどう生きたらいいのか、と考えている時にこんな俳句と出会った。
浜までは海女も蓑着る時雨かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水である。これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。浜までは濡れずに行きたい、と言うのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかねばならないのである。
この句の”浜”を”死”と捉えれ一層味わいが深まる。どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄の一番良くないところである。死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照りつければ日傘をさす。そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきである。
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今回は、お茶の水女子大学名誉教授 外山慈比古氏による「人生の後半をどう生きるか」です。
人生の後半をどう生きるか
外山慈比古
お茶の水女子大学名誉教授

座右の銘を持つなら、単に人から聞いたり、本から拾った借り物を安易に掲げるよりも、自分の人生から導き出した信念のこもった言葉にするべきだと思っている。そしてその言葉は、その時々に変化していくほうがいい。それは決して変節ではなく、進歩の証だと私は考える。
私が一番最初に心に留めた言葉は、「我が道を往く(Going My Way)」だった。戦後まもなく、アメリカから入ってきた映画のタイトルであるが、内容は忘れてこの言葉だけが心に残った。
私はこれを、他人のやることに付和雷同しない、と解釈して心に刻んだ。わが道と言うのは、常識、流行、体制といった多くの人がいるところにはない。一人で運命を切り拓いていく覚悟を持ち、孤独に耐えて歩いていくものがつくっていくものである。
私は、誰もが留学したがる中で、その実効性に疑問を持って海を渡らなかった。また一切の役職を断り、社会的な地位を得て自分を見失うことを避けてきた。一人で道を切り開いていく覚悟を持って、精神的に自立して歩んできたのである。周囲からは変わり者とみられていたようだが、私は意に介さなかった。

我が道を往き、自分の頭で考える事を実践し続けて八十六歳となった。それなりにナットとの幸人生を歩んできたという満足感はある。しかい、さすがにここまで長生きするとは思わなかった。人生五十年くらいの気持ちで生きてきたところが、五十歳を過ぎても一向に終点が見えず、途方に暮れているというのが定年を過ぎた多くの人の実感だろう。
さて、これからどう生きたらいいのか、と考えている時にこんな俳句と出会った。
浜までは海女も蓑着る時雨かな
詠んだのは江戸時代の俳人、滝瓢水である。これから海に潜る海女が、雨を避けるために蓑を着て浜に向かう。どうせ海に入れば濡れてしまうのに、なぜ蓑を着る必要があるのか。浜までは濡れずに行きたい、と言うのが海女の気持ちなのである。つまり人間は、少しでも自分を愛おしみ、最後まで努力を重ねていかねばならないのである。
この句の”浜”を”死”と捉えれ一層味わいが深まる。どうせ仕事を辞めたんだから、どうせ老い先短いんだから、と投げやりになるのが年寄の一番良くないところである。死ぬ時までは、とにかく蓑を着る。日が照りつければ日傘をさす。そうして最後の最後まで前向きに、少しでも美しく立派に生きる努力を重ねていくべきである。

