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パラオ国旗が日の丸を真似た理由

戦後80年。今でも日本人に感謝するパラオの人々。


靖国神社

日本の政治家が、8月15日になると「靖国神社」を参拝する。そうすると中国、韓国のメディア、世論が反発し、反日運動が過激化する。日本特有の靖国時神社問題についてアメリカCNNのクルーが疑問を抱いた。JAPAN特集として8月15日に靖国神社参拝取材を行いました。

現地に行くと思ったような中国、韓国のデモ行進は見当たらなかった。一部台湾団結連盟の数十人のような人たちもいるが、参列者は殆ど日本人だ。その中に明らかに日本人とは異なる、ミクロネシア系の若者の参拝者がいた。

興味を抱いたCNNクルーはその若者に、参拝した理由を聞くことにした。すると、その若者は父の遺言で、ある恩人に逢ってくれと言われたという。その人は靖国神社に祭られている「中川州男大佐」という男性で、ペリリュー島を最後まで死守した人だという。若者はパラオ政府顧問「イナボ・イナボ」の甥にあたる。

CNNキャスターはイナボ・イナボ氏がいるパラオに飛んだ。イナボ・イナボ氏は日本に何度も来ており、靖国神社で講演を行っていた。





故イナボ・イナボさんは、1925(大正14)年生まれ。パラオ共和国コロール州酋長。政府顧問。大東亜戦争ではパラオ挺身隊の一員としてニューギニア戦線で戦い、その後、パラオ本島で斬り込み隊の分隊長として戦われました。1999(平成11)年、逝去された。




日本よ、忘れないで ― パラオの亡き友の言葉
(故・イナボ・イナボ氏の証言より引用)

三十年くらい後に日本に行きました。
それで靖国神社にお参りに行きました。
それからずっと、日本に行くたびにお参りに行きました。
総理大臣が靖国神社にお参りに行かないことを雑誌で見ました。

他国の国じゃないんですよ。
何百万人という若い人たちが日本の国のために、自分の国のために死んだ人たちを尊敬しないこと、靖国神社にお参りに行かないことは考えておくべきですよ。

誰も戦争はやりたくないよ。
もっと大事なのは自分の国のために命を捧げた。
命はたくさんあるんじゃないんですよ。
たった一つよ。

せめて彼たちに、心だけでいいから。
いったほうがいいよ。靖国神社に。
簡単な話だから。
一日一回でいいから。
靖国神社に向かって、心、それだけでいいよ。

日本に英霊があってこそ日本の国が立ってるわけなんですよ。
日本の経済があってじゃないんですよ。

イナボさんは涙ながらに語っておられました。
たった一つの命を捧げて下さった、英霊の方々あってこその日本ですね。


歩兵第2連隊連隊長中川州男大佐

中川 州男(なかがわ くにお、1898年1月23日- 1944年11月24日)は、日本の陸軍軍人。陸士30期。最終階級は陸軍中将。

太平洋戦争のペリリューの戦いにおいて、歩兵第2連隊長としてペリリュー島守備隊(約1万2千名)を指揮し、同島を長くても3日で攻略できると楽観していたアメリカ海兵隊(約4万9千名)を相手に71日間に渡って組織的戦闘を続け、自軍の玉砕と引き換えにアメリカ海兵隊に多大な損害を与えたことで知られる。


イナボ・イナボ氏の命を救った中川大佐。「お前たち土人は、一緒に戦える身分じゃない。避難船に乗って逃げろ。もし生き延びる事が出来たら、パラオを復興させるんだ」船が離れるとき涙で手を振ってくれた。

過去にスペインがパラオを占領し、その後ドイツに占領国は変わった。いずれの国もパラオから搾取するだけで奴隷として扱った。6万人の人口は6千人にまで減った。日本の統治は違った、同じ日本人として扱い、教育も衣類も食事も日本人と均等に分け与えてくれた。

アメリカの大群が押し寄せてくると聞いた時、自分は同じ日本人として戦いたかった。しかし、市民を守るのは軍人の務めと、自分たちを避難させた。

そして今パラオは復興し、独立国となることが出来た。中川大佐から、もしパラオが復興したら、靖国神社に逢いに来てくれないかと最後に言われた。その約束を果たすためイナボ・イナボ氏は靖国参拝を行った。

イナボ氏が亡くなったあとは、甥がその約束を果たしている。



1万人玉砕したが、島民は誰1人死ななかった戦い「ペリリュー島の戦い」
『大日本帝国の地政学一日米衝突の根源』上島嘉郎より

やがて島民たちは日本兵と仲良くなり、日本の歌を一緒に歌ったりした。

●忘れられたペリリュー島の日米対戦の秘話

パラオは東南アジア諸国への中継地点だった。
しかし、1944年なると、戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
島民たちは「日本を尊敬」していた。
だから、大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意をした。
島民の代表数人は日本の守備隊長のいる指揮所を訪れた。
守備隊長であった中川州男(なかがわくにお)は温厚な人物であった。
だから、きっと自分達島民の頼みを喜んで受け入れてくれるに違いない。そう確信していた。
そして、自分達も一緒に戦わせて欲しいと言う確固たる意思を伝えた。
一同の話が終わると、場が沈黙に包まれた‥
しばしの沈黙の後、隊長は突然激高し、このように叫んだ。
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
彼らは一瞬、何か起こったのかわからなくなり、自らの耳を疑った。
日本人は仲間だと思っていたのに・・・。
「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの思いは見せかけだったのか?」
「やはり、こいつらは自分たちを見下していたのだ」
指揮所を出てからの帰り道、島民は裏切られた想いで、みな悔し涙を流した・・・
船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
島民達は、重い足取りで船に乗り込んだ。
しかし、船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そしてかつて一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、島民達は悟った。
あの隊長の言葉は、自分達を救うためのものだったのだと...
島の人たちは、なにか、自分でもわからない声をあげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、ちぎれるほど手を振り返した。
日本兵は現地の島民が戦火に巻き込まれないように別の島へ疎開させたことにより、兵士が全滅するほどの激しい戦いがあったにも関わらず、現地民には戦死者が一人もでなかったのである。
当時、日本兵に助けてもらった島民はこのように述べている。
「日本軍は、ペリリュー島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」
ミノル・ウエキさん(当時の駐日パラオ大使)
「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。他の安全な島に着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。家族で日本軍に感謝した。」
アマレイ・ニルゲサンさん(当時9歳)
終戦後の1947年、島に戻った島民は多くの日本兵の亡骸を見て涙した…
彼らは、島中に散らばる日本兵の遺体ひとつひとつをきれいに片付け、埋葬した。
また島には戦死した1万人の日本兵を祀る「西太平洋戦没者の碑」が造られた。
それには目のモチーフがかたどられており、その目は3200km先の靖国神社の方角を見つめている。

●日本に似せたパラオの国旗

戦後、パラオはアメリカに統治されるが、紆余曲折を経て1994年10月に正式に独立を果たす。
日本が太陽で、私たちは月だ。
私たちは日本がいて初めて輝ける。
月を中央にすると日本の色違いになっておこがましい。
中心から少しずらそう。
そんな議論がなされ、この「月章旗」の国旗が国民投票で選ばれた。
また、パラオの国定教科面の章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルが付けられた。
タイ副首相タナット・コーマン
「あの戦争によって世界の至る所で、植民地支配が打ち壊されました。これは日本が勇敢に戦ってくれたおかげです」
シンガポール第2代首相ゴーチョクトン
「日本軍の緒戦の勝利によって、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った」
マレーシア第4代首相マハティール・ビン・モハマド
「わたしの心の中にアジア人としての自信が次第に芽生えてきた。マレー人だって日本人のように決心すれば、なんでもできるはずだと」
仮に、戦後の教科書やメディアが言うように、
「その当時の日本は狂った野蛮な国」
「アジアの解放ではなく、アジアを侵略したのだ」
「自分たちの父祖は侵略者であり犯罪者である」
そうであるなら、あなたは、このパラオの真実をどう読み解きますか。

●日本人の尊厳を侵し、思考を歪めた米国

アメリカは戦後、日本が二度と立ち上がって復讐できないように、特別な占領政策を実行しました。
日本との戦闘は3年半で終わったのに、占領期間にはその二倍の7年間もかけました。
なぜ?
それは、「人種差別、人種戦争」という真実を日本人の記憶から消し去り、新しいでっち上げの記憶に塗り替えるため、それだけの時間が必要だったのです。
私たちの父祖が乗り出して行かざるを得なかった、この時代の「人種差別、人種戦争」の視点を持たないと、なぜ日本は台湾や朝鮮を統治したのか?これらの真実が見えてきません。
その結果、日本の統治やその他の外交の意図が見えず、一方的に侵略であったという歴史観を押し付けられました。
「日本はアジアを侵略した悪い国だ」と日本人自身が言い続けています。
戦後、GHQによって刷り込まれた、自虐史観が続くせいで、今の若い人は日本人としての誇りを失っていますし、個人主義に走っています。
「今だけ、金だけ、自分だけ」の今の日本人。
戦時中の気高い精神をもった日本人が少なくなっています。
戦前の日本人を擁護すると、すぐに極右だの戦争主義者だのと、冷たい視線を浴びせられる気味悪さ。
これは戦後、GHQによって骨抜きにされた自虐史観が植え付いている証拠です。
正しい歴史認識を取り戻し、私たちの先人がやってきた事を後世に継承していく。
それが今の私たちができることだと思いますし、それを語り継いでいくのが使命だと思っています。
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