2026.9.29
飯塚シュガーロード
令和2年6月に日本遺産に認定された「砂糖文化を広めた長崎街道~シューガーロード~」。福岡・黒田藩の領地だった飯塚は、長崎街道・筑前六宿のひとつ「飯塚宿」として栄えました。
遠き異国の地から長崎、佐賀を経て、飯塚に根付いた砂糖文化。シュガーロードを原点に、炭鉱の賑わいと共に多彩な菓子を生み出しました。
飯塚には、「銘菓御三家」と呼ばれる老舗のお菓子メーカーがあります。
千鳥屋本舗
飯塚発祥の銘菓でもっとも長い歴史をもつのが「千鳥屋」。1630年(寛永7年)、佐賀市久保田町で創業した「松月堂」から始まりました。
千鳥屋本家の原田実樹宜社長が詳しくお話ししてくださいました。「原田家は九州北部を治めていた龍造寺家の家臣でしたが、島原の乱で敗れ、そのまま平戸・長崎へ行ったと言われています。そこで、スペインやポルトガルの人たちから南蛮菓子の技術を学んだそうです」。
さかえ屋本店

戦後まもない1949年(昭和24年)、栄橋のたもとに創業した「さかえ屋」。当時の栄橋付近は飯塚の中心部で、商店や映画館・劇場が立ち並ぶ繁華街でした。
町のお菓子屋さんとしてスタートしたさかえ屋は、最中に餡と餅をはさんだ「すくのかめ」などさまざまな新しいお菓子を生みだし、炭鉱労働者やその家族から人気を集めます。
さかえ屋の歴史とともに歩んできた創業菓「すくのかめ」は節目ごとにバージョンアップを重ね、現在は7代目になるそうです。
東京名物としても知られる「ひよ子本舗吉野堂」のひよ子。でも、福岡の人にそんなこと言っちゃいけません。
ひよ子はれっきとした飯塚生まれなのです。ひよ子本舗吉野堂の前身である「吉野堂」は、1897年(明治30年)に開業しました。やがて、二代目の石坂茂氏によって、1912年 (大正元年) にひよこをかたどった名菓「ひよ子」が誕生。
従来のような丸い形ではなく、今にもピヨピヨと聞こえてきそうな愛らしい立体デザインのひよ子は、たちまち人気者になりました。
また、飯塚では養鶏が盛んだったことも、ひよ子が生まれる背景のひとつと言われています。昭和に入ると、ひよ子は九州名菓としてすっかりおなじみになりました。
そして、日本中が東京オリンピックに沸く1964年(昭和39年)、三代目・石坂博和氏が東京進出を決意しました。こうして、ひよ子は、東京土産としても全国的にも知られるようになったそうです。
日本遺産「シュガーロード」

室町時代末頃から江戸時代、西洋や中国との貿易で日本に流入した砂糖は、日本の人々の食生活に大きな影響を与えました。
なかでも、海外貿易の窓口であった長崎と小倉をつなぐ長崎街道沿いの地域には、砂糖や外国由来の菓子が多く流入し、独特の食文化が花開きました。
現在でも、宿場町をはじめ、当時の長崎街道をしのばせる景観とともに、個性豊かな菓子が残されています。
輸入砂糖や菓子と関わりの深い長崎街道「シュガーロード」をたどると、長崎街道の歴史だけでなく、400年以上もの時をかけて発展し続ける砂糖や菓子の文化に触れることができます。
「炭坑から生まれたお菓子」
炭鉱町に住む人々がまんじゅうを頬張りながら楽しんだ芝居小屋は、最盛期に50あまりありましたが、炭鉱の閉山とともに今では嘉穂劇場のみとなり、昔ながらの芝居小屋として国の有形文化財として登録されています。
現在は大衆演劇だけでなくミュージカルやクラシック公演など幅広いジャンルが楽しめる施設であり、休演日には劇場見学もできます。
普段見る事の出来ない劇場の舞台下にある奈落や人力で操作する回り舞台は興味深く、華やかなりし時代を感じさせる懐かしいものです。

